再生リストアドレス https://youtu.be/Jbt3vdPxJqo?list=PLQXDSYgFrf4COALkqirph--vhPNMXPTYO
部活で撮っていただいた美しい画像で(最終場面が柱の影になって残念ですが)
再生リスト(みるめさん撮影)アドレス
https://youtu.be/o18KhASJu1k?list=PLQXDSYgFrf4CpZ1AXgz0rotoVAnbvMCb7
内輪受けのネタや脚本を執筆当時のギャグがいろいろ盛り込まれていましたね。
そういった細部はさておき、作品のメインテーマは凛と貫かれていて、
その明示的で明瞭なメッセージはストレートに伝わってきました。
人間として生まれ、人間として生きることが
他の生物として生まれ、生きることとの大きな違いはただひとつ、
人間が「想像力」を持っているということ。
だから、「想像力」でどのようにでも生きられる。
そう言い切るのは危ういかもしれないけど、
もし「想像力」が生きる力になるなら、
正岡子規の「悟り」に近づけるような気がします。
「悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、
悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であった」
これでもかこれでもかと辛い目に遭い、
その不運と不遇に押しつぶされそうになるとき、
長く暗いトンネルの先に小さな針孔ほどの光を見るには、
「想像力」が必要です。
「平気で生きる」ためには。
キャストの方たちの演技力は全員かなりレベルが高いと思いました。
中でも、伊藤五月さん(会長だったかな)の滑舌も演技力も光っていますね。
セリフは聞き取りにくいところもありましたが、
演出もよかったし、一定の水準を超えた出来だったと思います。(2013.3.6)
「地球進化論」を二日に一遍、観ている。
そのたびに、作者小山量の綿密に計算された意図を感じる。非常に繊細な配慮をいたるところに見る。そしてまた、演じている役者スタッフが見事にそれに応えてくれていると思う。
例えば、会長役の五月くんのそれは言うまでもなく、高山くんの演じている、その端々に、量そうるが期待した以上の自己演出を彼ら独自のやりかたで楽しませてくれている。演出の岡君の指示でそうしているのか、本人さんたちの直感でそうしているのかは判断できないけれど、どうあっても、その仕草、静止した動作、表情や声色が、場面ごとに変化があり、楽しませてくれる。観劇に不慣れな自分など、さらっと流して話の骨格だけ味わっていると、それはうっかり見逃すのだけれど、毎回違う視点で演じているスタッフをひとりひとり絞って見てみると、その人たちの演技力の幅が見えてくる。シェフ役の吉本くんは生まれ持った存在感をさりげなく出して面白い。
復元中の周りを歩きまわる動きなど、高山くんが、手にした眼鏡で、ミイラをみるのではなく、どさくさにまぎれてかなえちゃん役の柴田女史の姿をまるで地球(女)にそそられた男を演じて見続けてるところなど、芝居のユーモラスさを倍加させてくれている。また、シェフたちのセリフが始まり終わるまでの間、周りの3人が静止したパントマイム的ポーズを続けているのは、芝居にメリハリをつけながら、効果をだしてくれている。などなど…
また、女性役者の浅井さんやかなえちゃんの「ゆとり」の鳥の仕草は、舞踏でもやっている人なのかと思えるくらい鳥を演じている。みんなとにかく、押さえた演技の中に自分という存在を印象付けてくれて素晴しいと思う。
とにかく、原作を舞台の上であのように仕立てた岡くんの演出のうまさ、役者自体の自己演出のうまさ、そして照明と音響設定のうまさ、観るたびに感動する。
ただ、台本上、量の原作では「丸井くん」と記していた名前を演出の方で、「チャーシュウ」「デブ」に置き換えているのは、演出効果のために面白さを加味するために演出側がそうしたものであろうことを了解しているが、そういう形容を避けてきた原作者の気持ちを考えて、原作はそうではなかったと付記させてもらっておこう。
(メモ1)
① https://www.youtube.com/watch?v=Jbt3vdPxJqo
② https://www.youtube.com/watch?v=FuRS5DmNPBU
③ https://www.youtube.com/watch?v=79bUSc3oOqo
毒と有吉と宴 小山量作 遺作「世の起源」以前の3部作の1つ 静大演劇部により2010年3月 (舞台監督:高橋伸人 )上演されました。
場所は Mabic Hall (南部図書館の2F)YouTubeでは Utage_1~10+幕endからなってます(録音の聞き取りにくい箇所が多いため字幕付です) 2010年前後の時代性をプリズム式に網羅しながら、生死の境界を前向きに乗り越えようとした自身の葛藤をユーモラスな笑劇に作り変えたケッサク(傑作にするにはもっと時間と体力が必要だったでしょう)です。まだ、体調も末期ほどひどくはありませんでしたが、睡眠と服薬のコントロール状況で精神的にはかなり辛かったと思われます。
状況により人間、心のボーダーに立つ、たとえ国、たとえ肉体、形骸を失っても、消せないもの・・・大変な時代に移行してゆく時代への思いもあって、それは共に仲間と一緒に生きた時間の音楽であることを身をもって体験しながらの作品で、ただ、役者楽しむを目指した作品としては、皆さんが楽しんで下さった結果になったのは良かったと思います。