Ryoくんは、短い青春期に実にいい映画と芝居を選んで観れたんだと感動

★久しぶりに野田さんの「半神」全編を観る

 しかし今回は後半のセリフが聞き取りにくいなぁと思った

…と思ったとき、ふと、思い出した。

Ryoのパソコンのファイルに、そういえば、野田秀樹「半神」の第一回公演と思われるpdf台本ファイルがダウンロードされていたことをだ。本人も、動画のセリフと照らし合わせながら、見直したいと思って、ダウンロードしていたもののようだった。

 よくこんなファイル見つけたものだ。

 今更のように感動する。

 しかし、日付を見ると、ダウンロードしただけで、印刷まで出来なかったのは、その後、倒れることが続いて、印刷の手間をかけて読む時間と体力に余裕がなかったに違いない。心残りだっただろうそのファイルをコピーして、聞き取りにくかった後半を照らし合わせながら動画の半神を見た。

 原作に加味して、演出を変えているところなど、かなり面白く鑑賞できた。

 今度は全編を通してみてみたいと思う。

★「十二人の怒れる男」(ニコ動で検索すると一部和声で観れます)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

英国のドラマ

いい物語です


★そして上記名画をアレンジして日本の舞台の名作を作った三谷幸喜さん作

「十二人の優しい日本人」・・・量が闘病期にたいせつにした舞台

 

この舞台はニコ動で検索すると、16分割ですが綺麗にみれます。

原作を知っていただけに、先入観で配役対応を感じながら見始めてしまったんですが、段がすすむごとに、その期待が裏切られ、その対応表が崩れるんですが、もうその再編生される後半、配役の面白さに最後は感動ものでした。

正直、見始めた時は、食べ物や飲み物という話を引っ張りすぎて、かったるく思っていましたが、第8巻あたりから、その分がぐいぐいと加速されて面白く展開してゆくのには引き込まれました。

 

そして、この舞台が、かつては一人の「正義」が勝つヒューマンドラマ賛美の時代を反映していたものを、一人以外の外野に移されることを見事にやってのけて、それでも「不正義」に代るのではなく、なおかつさわやかさを残すように組み立てられているのが圧巻でした。やはり三谷幸喜さんという人は鬼才天才です。

 

この作品だけを観るのもいいですが、この元となる英語ドラマの素晴らしさを満喫してから、これをみると、どちらも相乗効果、両方とも独立して名作だということがわかります。

量が闘病期3年目のしんどい時にこの英語ドラマを字幕で見通したことは、字幕が小さく、病気を見守る側としてはハラハラものでしたが、面白かったと感想を言って、そのうち「12人の優しい日本人」を探していると言ってましたが、このことだったのでしょう。多分ニコ動で丁度その時期に投稿されているこの作品を観ていたものと思われます。

 

その作者が量の好きな三谷さんだと知って見て最近見ました。

英語字幕版の方は、もしかしたら、量が昇天した折、形見分けで誰かに貰って頂いたかもしれませんので、もし手元にあったら、演劇好きな者同志で回し観して下さい。それからこの和製三谷版を観る…おすすめです。

 

★人生短かったけれど、量が本当にいい映画、いい芝居を観て楽しんでくれててよかった・・・

 

 

野田秀樹の世界

【9】Taboo

この動画を観始めた時、おそらくこれは半神より後、赤鬼と同時期か、パンドラ前後の公演だったとのではないかと思ったら、やはり

そうだったようだ。

 

舞台芸術というか、視覚芸術…の素晴らしさは、野田MAP、毎回の見せ場だと感じる。

若草山の炎上といい、海の波動といい、この野田さん軍団(?)の舞台演出はそれだけで芸術を超えている。

 

戯曲としては???

おそらく、Ryoはこの、一休宗純の破天荒な生涯をパロディ化(?)したこの芝居を動画で観ていたと思われる。

書きかけの戯曲のメモに、I love you の代わりに「天丼」を面白く使っていたところがあって、「Taboo」のそのくだりを取り入れたような展開になっていたのを思い出した。そういう身近な思い出があって懐かしかった。Ryoの場合は、漫才、落語のオチに取り入れられている古典的な意味合いの天丼とかけて使っていたように思う。そんなこんなで、Ryo も、この芝居の、野田MAP路線である「言葉遊び」に楽しんだことだろう。

 

ただ、Ryoがこの芝居を観てどう感じたかはわからないが、

 

自分が観て思ったのは、言葉遊びが「駄洒落」と「掛詞」を投げかけることで、笑いを取る場面が多すぎたような気がした。

宗純の一生はそれだけでも、ドハハと笑い飛ばす面白さがあり、意表をつく奇抜さとペーソスがあり、意味深な厳しい悟りがあるように思うのだが(と、言っても深く研究したわけでも無いから赤面ものですが)、その宗純の面白さを、駄洒落連発が拡散させてしまっているように思われたのだ。語呂合わせや、芸名を取り入れて笑いを醸すのは一つのサービスで、野田さんの芝居にはそういう愛嬌が出没するのが魅力でもあるのだが、それが今回はちょっと鼻についた感があるのは、この芝居、ほとんど始めから終わりまで、ドタバタ続きで、「動」<「動」<「動」…「静」がほとんど無いので、自分はちょっとしんどかった。宗純の奇想天外さを現在のパフォーマンスやイベントで固めたり、展開に工夫を凝らされたようだけれど、それもかなり無理やりな感じがしないでもなかった。

「赤鬼」のテーマのしんどさとは全く違うものだけれど、どうもぎくしゃくした動の繰り返しは自分は苦手のようだ。でも、「オイル」という傑作への過渡期的な作品として一度は動画鑑賞してよかったと思うし、舞台装置とか小道具、舞台芸術の世界では最高の勉強になると思う。

 

…でふと思ったけれど、この野田さんのこの時期の作品は、かなりクドカンさんを意識して創作されているのか…ということ

このお二人の活動の流れや関わりを知らないから、ただそう思ったというだけであるけれど

(・・・後で少し検索させてもらおうと思う。)

 

 因みに、Ryoの参考ファイルに入っていたクドカンさんの「鈍獣」という動画は初夏の頃、苦労して最後まで観たのだが、と、野田さんの「赤鬼」~の作品が重なって思いだされる。自分の観たしんどさが似ていた。そして、この「Taboo」は芝居作りのタブーなる境界線をあえてトライしたという意味での「Taboo」だったのかもしれないと思ったりした。

 しかし、どうあれ、芝居と言う世界は実際いい舞台を観ると病み付きになるであろう素晴らしい世界かもしれない。

 

 

 ★つけたし

 芝居と言うものは、テレビや動画とちがって、舞台鑑賞なので、演じるテーマも生身の感動がその場で伝わるものだろう。

 そうすると、観るものの五感を震わせる迫力がある。で、ちょっと思ったこと

 

 人間は最初は何でも純粋にスタートを切る。それが評価されて、さらに感動を作り出すような物つくりに挑戦をするようになる。それがさらに冒険的な試行錯誤を通して、問題作を作るようになり、マスコミとかに騒がれて、芸は磨かれ、人気が不動のものになっていくと、さらなる賭けに邁進する。その段階ごとに鑑賞し共に人生を歩む観客であれば、それはすばらしい。しかし始まりの純粋さから現在に至る創作者の経緯を知らずに、観劇に足を運ぶ人もいる。まだ生まれたてのような感性を持った若者が、その現在に至るまでの作者の情熱と苦労を知らないまま、いきなり創作者の「賭け」の部分の舞台を観る場合、その若者たちの感動に対して、創作者はある予測を立てる責任はあるような気がする。舞台に関わる作り手とかドラマ作り手は、やはり人間の精神面を豊かにしたり、支えたりする役割を担っていると自負してほしい。

 つまり、作り手の思いつきや賭けで作られる「えげつない」物つくりは、その作品の中に見え隠れするえげつない発想を、観るものに植えつけたりすることもある。植えつけるというより、引き出してしまうという方が当たっているか…とは言ってもその「えげつなさ」をその芝居のどこに観るかでちがってくるだろうが…

 最近のニュースで、信じられない「えげつない」事件とか、人間の本質が変質していく出来事があったりする。

 一例をあげると、赤ちゃんを景品にするとか、一面識もないのにラインの繋がりでリンチに加わる・・・

 こういうのは、人の心の底に沈んでいる悪想の種を芽生えさせるような何者かとの接点があったから生まれてくるものではないかな…という気がする。「原罪」とか「ルサンチマン」という言葉もあるようだが、全ての人間の心の中には無限の罪の種が眠っている。その種が芽を出すヒントは、いろんなものとの出会いの中に秘められていて、文化(創作の世界)は特にそういう秘め事を掘り出すところに根ざしている面もあるだけに、その起爆剤になりかねない。だからその点、思いつきにも責任を持つべきだと思う。

 これだけwebとか、メディアとかに行き届いた時代、物つくりの天職を任された人たちは、できれば、そのえげつなさを鼓舞するような芝居とかドラマとかは避けてほしいものだ。・・・とか、ちょっと思った。勿論、どんな作品からも、さらに素晴らしい影響を受けて新しい創作者が生まれる事もあるから、強くは言えないが…

 

 

 

 

【8】 キル

盆あけに量と一緒に映像で観る

 

 おそらく これは「オイル」制作以前の、過渡期、「赤鬼」などが作られた時期のものじゃないかと思っていたらその通りだった。

「オイル」までに昇華される野田さんの、まだ試行錯誤の感の強い作品だと思う。

しかし、この過渡期的な作品は、体育系の動きがありすぎて、疲れる。野田さんのガンバルジャンに付合わされてかみんな動き過ぎる。

 

さすがに、最後の幕での、種明かし野田節なる名セリフには感無量だが、そこにいたるまでの七転八倒的展開は、今回とにかくやりすぎな感じが強く、そのどこまでもハイな動きと、やたらと言葉遊び、掛詞や駄洒落に固執しすぎるこの人の傾向が節操ない。この「キル」ではその中庸をつかめない状態の出来上がりだった気がする。

 

その不節操を見事にカバーしているのが、相当にお金をかけたと見られる舞台装置と煙幕垂れ幕の素晴らしさだ。そして色彩感覚に凝った演出と衣装。しかし、芝居というものは、そういう舞台装置の工夫に重きを置き過ぎてしまうと、まるでショーになる。余計な気遣いだが、あの二度と他の芝居には活用できそうに無い衣装の縫製役の方々とそれを処分することになる事情を想像して、そのつぎ込まれた労力と処分に泣けた。それに、あれほどの、カラクリ芝居は、世界の野田さんになったからできることで、勿論、チェーホフの芝居をリメイクできる段階の芝居ではない。野田さんの舞台つくりは誰にも再現できないし、しようと思えば、底知れない予算と人脈がないと出来ない代物だ。そうなるとそれは戯曲とかお芝居の範疇から飛び出て、サーカスとかイベントにならざるを得ない。

どちらかというと野天で裸(に近い衣装)無衣天芝居を目指して欲しい自分としては、もったいない、罪的に近い舞台レベルだ。

 

「オイル」が芝居として成功しているのは、そのカラクリ舞台道具設定のすごさに見合うだけの、戯曲と演技の素晴らしさのせいだと思う。「キル」の場合は釣り合いがとれていない感じがする。演技も舞台レベルにバランスよくこなされて感動したが、やはり台本自体の無理が目立って見えた。おそらく試行錯誤の野田さんの掃溜めのようなメモ帳戯曲だったのではないだろうか、いずれ、昇華されて、「オイル」に到達するための・・・中途段階と、失礼とは思ったけれど、おこがましくも、ばっさりキル。

「キル」… 生きるのきる 裁断の切る などなど 羊という字に拘るセリフのくどさなど、蒼き狼、チンギス・ハンとシルクロード、テンコ盛りの歴史風味も、やがては「オイル」で見事に切磋琢磨された戯曲を見せてくれることになる、下準備的な「キル」であるからと…納得でキル次第だった。量はどう思ったかな?ニコ観劇の勝手おそまつなこの感想に眉よせてるかもしれないが。ゴメン

 それだけに、「オイル」は本物を観たかったと思う。

【7】Right Eye

Right Eye この芝居が、野田さんの一つの分岐点だろう。

Ryoはこの芝居を観たと思われる。

劇作家として大海に乗り出して間もなく、右目の視力を失うと言う、舞台に立つ事も危ぶまれる峠にさしかかった。

が、その後の名作、(迷作も含まれるが)の連作、舞台上の、その体調をものともせず、挑戦し続けたパワーをみるにしても、

野田さんの活動はすばらしいものがある。

 

どうやってその分岐点の過酷な峠をこの人は乗り越えたのだろう。そう思ってこの芝居を観た。

あぁ、Ryoはこの芝居観ていたんだと実感した。

稚拙であったかもしれないが、彼は彼なりに自分の身に振りかかった病気の体を乗り越えるのに、この「Right Eye」を消化して、芝居を作ったと思われる。

 

勿論、野田さんの深刻なテーマは、Ryoの苦しみのテーマと領域を異にしているので、繋げて考える事は出来ない。

局部的な罹病と体全体の罹病の違いは大きいし、前線にたつ著名人の苦悩と、一学生の苦悩とは全くレベルも違う。

だけれども、遥か上空の舞台人が右目を失うという苦難を乗り越えるために舞台をつくりあげたそのパワーを、Ryoは次元は違うといっても、見事に自分の演劇の中に取り入れたようだ。芝居の出き不出来、質の高さ低さは置いといて、とにかく、そのパワーを取り入れるほど、このRight Eyeの中の、野田秀樹の闘いはRyoに闘う力をくれたのだろう。

Right Eyeの最後のセリフで思わず泣けた。

 

「毒と有吉と宴」の中に、さりげなく入れた「真実の目」、そして、その頃、親に話して聞かせていた「太陽目線」の話を、思い出して泣けたのだ。おそらく、RyoなりのRight Eye は失われていく自分の真実を観る目(体)への追悼と哀惜を含んで、この台本の中に生きていたものだったようだ。

野田さんがこの芝居を番外編として舞台にしたのは、生きてゆく自分という命のためだっただろう。芝居人としてである前に人間「自分」の戦場を繰り広げて、勇士然と開戦の笛を吹いたのだ。

Ryoというささやかな一学生すら、人生の死線の峠に立った時、人間がまず自分自身と戦うことから始めようとして、「宴」を書いたのだろう。自分を律して、勇士たらんとす。運命とかいう、人間を食う魔物がいるとしたら、体の一部を失っても、逃げ惑わず正視し、闘うのだ。そして遺された目「Left Eye」で、真実を記憶する「Right Eye」を生かす努力をするためだったのではないか。

親バカで、許してもらおうと思う。

Ryoも野田さんに負けず勇士だったと、感じている。

「Right Eye」の気概が、やがて、半神→赤鬼、農業少女→パンドラ→オイルへと昇華されていったのが、今少し分ったような気がする。

Right Eye…この芝居は、他の野田さんの作品を観る前に観ることをお薦めする。

【6】野田地図「農業少女」

野田さんMAPの見方(見る順序)を間違っていた。この「農業少女」と「赤鬼」を経て、「オイル」上演だった。

ある意味、救われた。過程としてこの二つ、救われない絶望だったことがだ。

その延長線の先に「オイル」が完成されたのは、頷けるし、自然だった。

「オイル」がその二つの絶望の序曲の先に、叫びとなって本演奏を奏で、幕を下ろしたのも、見事なつながりだったかもしれない。

やっぱり、野田さんの航海地図は絶望の大海で翻弄される銀色の海賊船の羅針盤、そしてMAPだったと思う。

言葉遊びというよりも、言霊に突き動かされるこの人の創作が、長年求めていたもの、それがこのオイルの叫びだった。

解決のない、迷路の先に見えるものへの挑戦は、謎解き策を含ませたシナリオではなく、ただ叫びであることをこの作品は教えてくれる。

「半神」のように、原作者のスゴロク盤の上で作り上げた珠玉の作品でもなく、自分自身の盤上で、勝負したっという感じの「オイル」は彼が故郷という鉢の中から、自分をはじけ飛ばして、自らを外野に立たせることで、丘の上からその鉢底の中に蠢く真実を見極めようとした、その努力の成果だと思う。けれど、それは「叫び」でしかなかったという発見を野田さんは確かめたのだ。

 

卑近な例であるが、自分もそうやって外野に立って故郷を見ようとして二つの小説を書いた。「金比羅」と「君一石」という拙作は、そういう動機で書き上げた。天地、雲泥の差がある話で恐縮だけれども、もしかしたら、野田さんの創作の底に蠢いている感情、憤り、情熱の内訳を、自分は一番察知できる人間の端くれではないかと自負する。それは思い込みで、自己納得に過ぎない話で、人が聞けば失笑に伏されることだろう。でも、同じ年の生まれで、同じ故郷のその固定観念の中で、脱出を試み、それでも愛した場所を思う心は、少なくともそのことを知らないで野田芝居を慕うファンの人よりも、その狂気に近いところにいる。

 

Ryoがそんな親の狂気を知らぬまま過ごして旅立ったのは幸いだったけれど、でも知らないと思っていたのは親ばかりで、彼を苦しめた多くの「いのち」の問題は、もしかしたらそのボーダーを予感したことから始まっていたともいえる。だから、彼は心身の苦しみにさいなまれる事なく、今こそ、天上桟敷で生き、人間のはかなく悲しい音を作ってやろうと頑張っているのかもしれない。彼の新生を祈る。

 

★追記

この野田Mapを見ながら、「しかしこのままで行くとこの作者野田さんは段々絶望の淵に嵌り、この先狂ってしまうかもしれないなぁ」と思う自分のつぶやきに、見事に答えをくれた子がいる。Ryoの仲間の一人「クラピカ」(…これはワタシが自分の心の中でつけたあだ名であるが)である。

 たまたまその日、夜、レオリオ、キルア、そしてネテロ会長(これも身勝手なあだ名で失礼)がRyoの下宿に立ち寄ってくれて、芝居やドラマの話を楽談してくれて帰った後、十時過ぎてからクラピカがふらりと寄ってくれた。

 久々に会ったそのクラピカと野田MAPの話になった。Ryoが生前切に観劇したかったが体調悪く観れなかった「the Bee」を静岡公演で観たという貴重な体験をしたクラピカ。そのクラピカが言うには、人間が一番狂気に陥る職業は「ギャグ漫画」など笑いを考え出す創作者だと言う。絶望をとことん形に出来る人は狂わない。

…と言う事は、野田さんが笑いを多分に含ませた芝居を書き上げた若い頃の方が精神上危なかった時期なのかもしれない。そして「赤鬼」「農業少女」と展開しながら、彼は絶望の淵にいながらも、それを嬉々として作り上げ、達観した姿勢をゲットしながら、やがて「オイル」へと到達したのかもしれない。だからこの路線で行くと狂うことはない。・・・絶望の創作は作者を救う。

そのクラピカの視点に思わずうなった。やはり感じる人は感じる。観る人は観るである。

 

【5】赤鬼     何の予備知識もなく赤鬼を見る

あーぶったまげた!!というのが正直な感想。

もう10年余前にこの芝居は大反響を呼んでいたものらしい。というか、量が大学一年の時、野田秀樹という演劇人の話を本人から聞いて、大阪からの手土産にユリイカという雑誌を買って持っていったのは自分であり、その文芸誌が今も量の本棚に立っていた。赤鬼の戯曲が載った戯曲集もその時一緒にお土産にした気がする。

ユリイカはその当時の野田MAP特集を組んで、表紙も野田MAPの農業少女の衣装をまとった野田さんの写真が載っていたのだ。その中に赤鬼のことも書かれていて、この芝居は海外バージョンと日本バージョンといくつかあって上演するたびに、それを比較して観て回る観劇ファンも多かったらしいのだのだのだ!!!

演劇部の人たちはおそらくそれを知っていて、量の本棚から形見分けで貰っていってもらった中にその戯曲集もあったことと思う。

しかし自分もこうやって量を偲ぶ気持で芝居の動画を見出したわけだけれど、この赤鬼をみなさんはどういう風に受止められたのだろう。

 

あの終始、3人+鬼のドタバタ喜劇っぽい流れを見ながら、結末を既に知って観る人もいただろうが、自分は知らなかったから、正直、あの展開はしんどかった。よっぽど、旅芸人の罪の無いコントを見せられる方が面白いと思うほど、どこかギクシャクして無理やりな感じがしたのだ。挙句、最後の30分ほどで、その長時間のけだるい笑劇の落とし前をつけるようにいきなり急傾斜の山を登らされて、最初と最後の収支決済を見せ付けられるように、どどっと来た。あーそういうことだったのかといういきなり伏線と謎解きを叩きつけられて、さぁどうだって感じに、突き落とされるような・・・残酷な幕となって終わった。

…とそんな事を書くと演劇通の人や野田さんファンに、「なーんにもわかっちゃいない」と叱られるかもしれないけれど、どう言われてもあの手の芝居は苦手だ。

 

量は知っていたのかな?どう思ったのかな?いや、もしかしたら、ゼルダの伝説とかで、難関のボス戦で結構怖い展開に慣れている世代だから、意外と冷静に受け止めていたのかなとか思った。

 

戦争というものが多分に避けられない残虐性を内包して、人間が鬼にならざるをえない状況が数限りなくあった。その脈略は当事者でなけれがわからない地獄で、その状況を知らない後世の者が、神のように審判を下したりして世の中は騒然とさせられている感がある。それでも何も知らないままでも、みんな正義というものや、良心というものを一生懸命考えるから口論もし、批判中傷もしているのだ。

けれど、この芝居の残酷性というものが、その多分に避けられない状況を最初から物語として作っているところに救いようが無い気がする。言葉ではうまく言い表せないが、こういう救いのない架空の芝居で興じることだけは、自分は避けたい。

 

何の予備知識なく、無知なまま、先入観なしでこの動画を見始めた。

まず題名から、民話的な芝居かとまず思った

バージョンは赤鬼を大柄な外国人が演じるもので、野田さんはちょっととろい兄さん役、妹と嘘つき男は若い俳優だった。

最初民話調か…と思って見始めたのが、だんだん、あぁこれは黒船時代からの外人上陸を揶揄した話かと思い始め、いやどうも違うということになった。で、民話的鬼はけだものじみた存在となり、ただの魔物的異邦人となり、心の塊になって、最後には肉の塊扱いを受けるという、その肉を食らってまで生きる鬼は人間であったという・・・空恐ろしいグリム童話みたいになって終わった。これはやっぱり外国受けしたのは分るような気がした。

 

ちょっとまとまらない感想になったが、・・・

 

バッハの曲として残っているものはバッハの作曲した何千何万の中のもののなかの一部でしかない。と、思う。

彼の作った新曲だと逐一発表される今の時代にバッハが生まれていたら、これほどバッハは永遠の神にはならなかっただろう。

 

【4】オイル    Ryoも観てたらいいな    (2013.7月)

nicovideo 野田地図 無料ログインで紅掛花さんの公開マイリスト一覧に結構野田さんの芝居がアップされてます

この作品は、野田さんの最高傑作ではないかと思う。

ほんの数作品しか観ていない、それも動画サイトでの観劇なので、お粗末な観劇者である自分だし、同じ年齢で同じ故郷を持つという先入観があるせいかもしれないけれど、それらを無しにしても、やはりすごいと思われる。

実際にこの芝居を観られた方の感動は計り知れない。

量は動画ででも観ていたのだろうか。観ていたらいいなと思う。一緒に観ようと写真をそばにして観る。

 

劇中、平手打ちをくらった勢いで野田さんのめがねが飛んだ。

即座のアドリブで笑いに代えたその人のすごさの中に、この人のこの作品に秘めた深さを見た気がした。

 

今日の暦の言葉は The deep river runs still 「深い川は静かに流れる」だったが

この芝居を作った作者の思いは深い。

 

ただわけもなく、あぁこの人もいずれ逝くのだ。と泣けた。

その時代で、ある歴史、その歴史の深さを掘り下げてゆける人はほんの一握りだ。そういう人もいつか消えてゆくのだ。

その人の舞台を観た人だけがその深さの一部に触れる事が出来、その触れた人の中の何人の人がその一番深淵の部分を感じ取れるの

であろうか…これだけ通信も拡散も出来る世の中でも、結局はその場でその人の舞台を観た人だけがそれを知る。

少なくとも、動画でも観る事の出来た幸せを味わえたことに感謝しようと思う。

野田さんという天才が、一介の市井でしかない私と同じように過去に転がって石になるとしたら、本当にもったいなくて畏れ多い。

宝石のような、試金石のような、その人のアメジストのような石。伝えようとする叫びが響いてくる

 

そして「近眼のぼくには飛んだめがねが拾えない」その眼鏡を観客から拾ってもらったあのアドリブの瞬間、

彼が悲惨な故郷から籍を移して、一日本人、他府県の、現場と無関係の位置に自分を置いて、冷静な目で創作を続けようとした理由が分る気がした。と同時に彼はこの作品を作っている時点、すでに右目の視力が無い。ほとんど感覚と直感で舞台は作られた。自分で見て掘り下げる時間と空間の限界と闘いながら作品をしあげた、その思いは深く、静かだ。

 

きっとその思い、Ryoがこの芝居を観ていたら、感じ取れたかもしれない。ボーダーに立ちながら、その外野に身を置いて台本を書き続けたRyoだから、自分なんかよりはその深さを知ることは出来たのではないか…とふと思った。

 

 

 

 

 

 

【3】野田地図「売り言葉」 大竹しのぶ独演 智恵子抄

智恵子抄 彫刻家であり詩人の高村光太郎の詩集の中で、感動的だったレモン。そのセリフが最終場面で大竹しのぶのモノローグの中で出てきた時は本当に懐かしく思われました。

智恵子の切り絵が、たまたま量が小さい時、図書館にあって、確か、量にも絵本を見せるように開いて見せたようなのですが、その時、キャベツとかトマト(?)の切り絵の素晴らしかったことを覚えています。それと、精神を病んだ末期の智恵子写真の中の瞳の光りは、今でも

印象に残っています。

 

野田さんの芝居「売り言葉」…なぜこの題名にしたんでしょう?

つまりは生きてゆくための手段としての光太郎の「詩」に羅列された自分(智恵子)への賛美…が「売るための言葉」でしかない、そのくせに読者は、社会は、その綺羅星のような言葉に騙されて万歳三唱、美しい詩と酔いしれる。ちょうど開戦を告げる大本営の言葉のように、説得力があり、否応もなく市民を動かした時代性と同じじゃないかと、狂気の中の正常な智恵子の声が叫んでいる…その声のことを題名にしたのでしょうか。

 

智恵子が亡くなったのは58歳。1941年というのでちょうど開戦の12月のラジオ放送の中、狂死する智恵子の最後の面影で幕となります。とうきょうしみん…とかいう言葉を売り言葉にして…の意味は智恵子が実際に口にした言葉なのか、野田さんが作った言葉なのか、わかりませんが、これを題名にした事は、その時代とこの夫婦の背景をよく知るひとには最適だったのかもしれないけれど、おそらくそれをよく知らないで観た若い世代にはちょっとむずかしい感じがしました。「パンドラの鐘」にしても、この「売り言葉」にしても、歴史、史実を元に戯曲化すること、それを観て鑑賞する対象がその史実を深く知らなくても感動しうるだけの普遍性を舞台に持たせることの難しさがあります。それでもその難点を知りながらトライする野田さんの勇気には乾杯です。

 

大竹しのぶさんが、前半、中盤、後半の、声の発声法の違いで、智恵子の年齢と精神の遍歴を見事に分け演じたことは素晴らしかったです。演劇、舞台を志す人は一度この人の演技の幅や才能に触れる事は本当に試金石以上の出会いだと思います。

 

ただ、最後に、正直に、勝手なことを言わせて貰えば、やはり役者の人間性や性格が、最後の1ミリの役柄の昇華を決定するような気もします。大竹しのぶさんという女優さんが、智恵子を演じるその1ミリのずれを完璧に自分のものに出来なかったのは、この女優さんはおそらくどんな境遇になっても統合失調症(今はそういう名前で呼ばれている精神分裂症)を病むような超繊細な精神の持ち主ではなく、生き抜ける強さを持つ女性だからじゃないか…と思うからです。役者は役者でしかないから、それは不可能でしょうけれど、この人の天才的な役者パワーに感動しつつも、もしかしたら、深津絵里さんが演じてたら100%に近い智恵子を演じたのではないか…と思ったりしました。

それは、極め細やか過ぎる精神線の網の目から穿つように見上げた智恵子さんの写真の瞳の光りを、若いころの自分が怖いくらいに感じた印象が強かったせいかもしれませんが、最後の1ミリを凌駕してそれらしく演じれるのは、半神で健康的にも狂気を演じた深津さんかもしれないなぁと正直思ったのでした。でも、大竹しのぶさんの演技は、トップの地位であることは確かです。

 

この動画も紅掛花さんの公開マイリストで3部連続再生で見れます。

 

【2】パンドラの鐘 2011.9.21 一部一緒に観る   観直し2013.6月

2011の9月に夜、夕食後、「こんな野田さんの芝居あるよ。観る?」と言ってくれて、よほど体調と気持がマシな時しか、そういう風に声をかけてくれなかったので、とても嬉しくて見かけたことでした。

 

30分ほど観ていて、大好きな友達が来てくれたので観劇の続きは次回というまま、楽しみにして退散した覚えがあります。で、その後、その続きを観る機会もなく、忘れてしまってましたが、その頃の闘病日誌のメモを見直していたら、9月21日20:00「パンドラの鐘」一部見せてもらうという走り書きがあり、あぁそんな事もあったと懐かしくなり、ニコ動画を開いてみました。

 

思いがけず、紅掛花さんという方が野田さんの、その動画が再生アップされているのを知って、さっそく観ました。2時間ほどの芝居です。その話がどういう話だったか見当も付かないままいきなり観たのですが、釣鐘の鐘が出てきたときに、あぁそうだ。「ピンカートンって知ってる?」と量に聞かれた事を思い出して、長崎の蝶々夫人の話をうろ覚えに話した事を思い出しました。そして鐘の音が効果音で鳴り出した時、懐かしいアンジェラスの鐘にそっくりだと思った後、あぁこれは長崎の原爆の物語かと予想がつきました。で、ようやく作者(野田さん)の制作意図がわかりました。

 

感想:構成は素晴らしいものでしたが、あまりに意表をつく演出工夫の連続で、芝居自体がぎくしゃくして走り続けた感が強く、配役ももったいない気がしました。やはり、野田地図の中では、the Bee(これはもう動画では観ることができませんが)が最高で、次が半神。パンドラの鐘は史実が重いだけに、その重さを芸術的な重さに塗りこめようとした作者の苦心の跡が痛々しかったです。量もその重さを感じたのか、お気に入りには遺していませんでした。ただ舞台構成のスゴさはこの人ならではのものでしょう。

 

前半はクドカン的な展開が野田さんらしくないようで、量と一緒に笑ってしまった記憶があります。でも若いころの野田さんの芝居はやはりこういう感じだったのかもしれません。それをよく知らないで感想言うのも失礼だし、不勉強でしょう。ただ半神やBeeでみた視覚的にも「静」「動」とか明暗とかの素晴らしさが、このパンドラには未完成なまま、不発弾のように感じられたのは、こちらの未熟さと、やはりテーマの暗さと重さのせいかもしれません。

ただ野田さんにとっての長崎への思いが世代は違うけれど、量の心になんらかのメッセージを残したであろうことに感慨深く思われたものです。quarter-nagasaki族の共感強く、その悲哀と怒号は微かながらも受け継がれたものと信じます。

 

【1】半神を全編見直す

そうるRが生前、好んで観ていた「半神」の中の一番好きな部分を見せてくれた事があって、芝居の醍醐味を感じさせてもらった。ニコニコでお気に入りファイルに残っていた作品は、この「半神」と「鈍獣」だった。後者の「鈍獣」は3分の2まで観て、最初の部分には惹きこまれたけれど、段々しんどくなってギブアップしてしまった。それに比べ、「半神」はどのシーンから観てもやはり面白く、Rが見せてくれた部分だけではなく、初めて通しで最初から最後まで観た。で、Rがそらで覚えていた「音を作ってやろう」がこの最後の台詞だったことを初めて知った。その「音」を作ってやろうまで行かなくては、この芝居の全編のしめくくりにはなってなくて、野田秀樹作の「半神」を観たことにはならなかったのだと、感動が倍加した。Rはそれを、セリフを覚えるほどに何回も何回も観ていたようだった。Hunter&Hunterへの思いと同じくらいだったか(笑)おそらく、この芝居、実際に観たかったことだろう。萩尾望都の漫画を原作としているけれど、もうそれは別物の芸術作品という感じがした。萩尾さんの漫画はかなり姉妹の確執のような、怨恨のようなものを感じさせるが、そういう世界でも舞台にする…というのは、こういうことなんだなぁ…それこそ舞台に神を感じた。演出者も演者ももう神がかりの域を超えて、ヤオロズの神々の饗宴のような気もした。実際にその場で観た人の感動はどれほどのものだったか。しかし、最後まで観てなかったのに、部分的に観ても舞台の組み立ての素晴らしさに絶句した覚えがあった。で、今回、全編通しで観て、物語としての完璧さにも、芝居つくりの凄さにも、改めて言葉を失った。Rはこの芝居を観て、ささやかながら、「毒と有吉と宴」の中にその「半神」から受けた感動を自分なりに消化しようと一生懸命に頑張ってみた跡が見えるようだ。野田秀樹という人の作品を大樹とすれば、その一枚の葉っぱくらいの夢を託せたのではないだろうか。もっと完成された葉っぱも茎も幹も根も、それらを支える土も、生きて、もっともっと知りたかっただろうなぁと思った。今頃天上桟敷で、本当の神々の芝居でも観れていたらいいのにな。

それから、Rがみせてくれたもうひとつの作品は同じ野田さんの「Bee」。これも素晴らしかったが、残念なことにニコでもYouTubeでも観れなくなっていた。あの作品は、「半神」の言葉のからくりと違って、光と影の、小道具と照明などの映像の凄さが印象的だった気がする。どちらにしても、本当にいい芝居というのは舞台上に見えるスタッフと見えないスタッフが、みんなが神がかりで動くものなのだろうとつくづく思ったものだ。

🌸思い出の静岡駿府の桜 3.19 

ようこそのページに載せました

https://tensun914.jimdo.com/

プロフィール代わり

量昇天後 名前量の文字だけが残りました 2012.5.1 

(展示会の秋11月の写真から)

翔はかせが写真ツイートでアドバイス、先祖墓探索のおかげで、昇天後3年目に行き場のなかった量くんは

観心寺さんの供養塔に入れて

いただきました。

 

その感謝の気持ちで作りだした翔月語り。翔はかせさんのお顔も本名も存じ上げませんが、7年来フォロワーさんでいてくださりました。

その名写真家の翔さんと、それからこの秋出会ったフォロワーさんたちのツイートに最後まで生きる力戴いたお礼の形として、この平成最後の思い出と祈りのtweet集制作することになりましたこと、ここにお知らせいたします。 2018.11.1 

よぼよぼ工房の展示会の搬出の写真です。どうにかお父さん(右から二番目)と手伝い人(左から二番目)

今年の展示会こぎつけて終了できました。でも二人とも腰痛と椎間板イカレで、まだ手伝い人だけ展示場台のセッティング体が動きました。火事場のバカ力保持者は自分だけですよ(苦笑)お手伝い会員さんのメンバーも写真ではまだ元気に見えますが、みんな体ガタガタヨボヨボです。来年は出来るかなぁと思いながら最終活。量くんも天の高い所から苦笑しながら観ていてくれたかな。

このページを見られてる皆さんはまだ若いはず。どうぞ日々時間という宝石を大切にしながら頑張って下さい。12.23記

 

ウイルス跋扈で

即売会もお流れになり 9月へ持ち越し。作陶生活も体の老化で難しいお父さん 今こそ好きな絵を描いて下さい。と励ましてどうにか最後まで

食いつなげたら本望でしょう。

とにかくネット嫌いのアナログ職人さんですので、春福音~日本列島ファイトの動画も観てくださったことなしで毛嫌いされてるもので、こっちはこっち、あっちはあっちで頑張ってます。それでも裸の正直でいい楽書描いてくれてます。

いつかその動画こっそり作ろうかなぁと思ってる相方ですが、そんなことを知ったら、全部焼却処分するような短気なお父さんなので ま、いいか。とにかく、日々楽しく笑顔でいてくれたらどっちが先に行くにしても 天上の量くんの足をひっぱることもないでしょう。

そんな日々。みなさんも

楽しむことが結局強い 青島さんだったか、談志さんだったか言っておられたように、どんな境涯にあっても笑って楽しむ奴が勝つ。もちろん自分にですが。ではお元気で。

     5月24日記

 

追伸

静大の植物をtwittしてくださってる方がおられます。

とても楽しみです。どうぞ

続けて下さい。量が歩いた学内構内を歩けてる気持ちになって 嬉しいです。有難うございます🌸

https://www.muryogama.com/

天寸小山量 天上14歳 令和3.3.24楽

小山量 天上 正定聚仲間入り

6.4.8 学びへ 

   天地融合平和祈念317---

   ⚾天使他力さん守り

   正定聚2年目の

  普賢 量くんお手伝いよろしく

  文殊の岡くん

    地上で元気よろしく