今後 日本列島ファイト彩り魁集は 最終活として74編予定
この再生リストに追加されていきます
このHPに74編の方々の個別動画はもう張り付けませんので
よかったら この再生リストから ファイト写真帖 ご覧ください
2021 4月8日 3月24日から楽になると
量くん仏陀さんの仲間入りメッセージ受けました㊗
5月4日 五月君 お誕生日おめでどうございます🍀
5月1日 祥先輩 お元気な電話連絡嬉しかったです
ムー先輩 哲先輩によろしくお伝えください 量くん天上10年めの5月となりました
演劇部のみなさん お元気でいてください
昨日はテレビで山梨の笛吹川でお寿司を食べ歩き(サンドイッチマンの番組柳沢慎吾さん面白い案内)
観て感動しました。桃の桃源郷の美しさと笛吹川の美しさに酔いしれました。
自然がこんなに素晴らしい日本 元気になってほしいです。地上は量くんの故郷なので きっと天上から
エールを送ってくれてると思います では佳き5月を。
昨日公開された本篇に表記間違いがありましたので 本日公開しなおしましたm(__)m
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74冊中22冊1⃣まで 今本棚に立ててあります
22冊目1⃣ー2~23冊目は今週中に公開され このリストに追加されます
2020~2021 3.24
編集中
昇天して7年間 親や地上の煩悩を消してもらう旅 ごくろうさまでした
足を引っ張り続けて 7年 天からのメッセージ通り親は仲良くがんばってます
そうしなければ 君は楽にならないとわかったから。
君が7年目に『「死んだ」悟りの涅槃』に入られたのを感じてます
目覚めた時 天上の仏の正定聚(しょうじょうしゅ)の仲間入りをして
ほんとうの意味で楽になると伝えられています 楽になるように親も地上の自らの
煩悩を片付けていきます。 安心して 忘れて 新しい国でみなさんと幸せに
らくだは天国に行って少し「楽や~」の量くん、最後の年に本人が落書きしたらくだの絵が由来です
旅立つぎりぎりまでささやかな喜劇台本描き上げた演劇部学生でした
よかったら別ページにある遺作芝居(動画)ご覧ください。天国で本人喜びます
あとひと月たてば
今日の雪が
花びらになる
今日のつらさは
そのためにある
全編再生リストアドレス (下記アドレスを選択して右クリックで飛んで下さい)
https://www.youtube.com/playlist?list=PLQXDSYgFrf4AVkezcpDEDZx5Ko4uUJYkT
9月14日 誕生日に 2013年(昇天後一年目)作ってくださったニコニコ動画が今年もまだ残してくださっていたのでここに。 ほんとうに有難うございました みなさんのお元気と幸せを祈ってます (今年 地上年齢28歳の量 天上ではまだ幼いと思います)
新しくぺーじを更新しようと思いましたが
なかなか気持ちが進まず 量くんの好きだった「笑いの大学」から始まり、役所広司さんの映画を観ているうちに「キツツキと雨」という日本版のインド映画のような静かで優しい映画を観ることになり、そのつながりから このリリィ&洋士さんという素晴らしい声をお持ちのお二人の名曲「残そう」を知りました。
ちょうど量くんの闘病期のころにブレイクされた曲だったようで、知る機会もなく、今日までその歌も歌い手のお二人のことも全く知りませんでした。ご存知のかたは多かったかもしれません。
いい曲だなぁと思って、このお二人のことを検索しましたら、昨秋 リリィさんが天国に旅立たれたことを知りました。ご冥福を祈り、この名曲が永遠に愛されることを願ってやみません。
http://www.geocities.jp/lily_yoji/
量くんはお会いできるかもしれないので、ここにこの美しい音楽を。
百合に見えた薄桃色の花は彼岸花の仲間サフランでした
9月1日 月命日は 高橋紹運さんの玉砕城址
岩屋城行ってきました 眺望素晴らしく 高橋紹運さん墓地は
大友宗麟の名臣だけあって、津久見の宗麟墓地に似てしっとりとして
よかったです 繊細と有能と無茶苦茶と…色々問題の多い名君を最後ま
で支えた二人(道雪さんとこの紹運さん)の友情と信愛…量くんの最も
好きだった歴史の暦です その城址にこの9月に行けてよかったです
中学の時、祖父の故郷に架かったレインボーブリッジを見上げて
東京のレインボーブリッジを渡る夢を見た量くんの今
天上桟敷のいくさ舞台で勇士として元気で幸せにいるように 祈りを込めて
安倍川の夕日花火は最高だった。 思い出をここに・・・
音楽提供は 秋山裕和さん 「春雪雷風」と「イスタンブルの楽園」名曲ありがとうございます
以下は HP本箱からの写しです
旧HPなので 閲覧済の方は 次の本棚月誌へ飛んで御覧ください
最新ページは月誌に載っています
まるまる3年の天国修行が終わって、
4年目にはいりました。みんな元気でいて下さい Ryo そうる
今年は背水の陣 夢の柱の杭一本くらい残していけるよう がんばれますでしょーか そうる㌁
6月24日の レインボーブリッジ
量くんと会えた気がします
この角度からのこの映像はもう見れなくなりましたが、それでもそこへ至るゆりかもめから観た橋の美しい姿はとらえることができました。量がゆりかもめの窓辺でまぶしそうに見上げた光景を5年目に確かめることができ幸せでした。ちょうご奈良の大仏さんを初めてみた4歳の時の感動の目線に似ていました。そういう瞳をして見上げたのはこの2010年末、帰郷のクリスマスに悲しくもプラットフォームで倒れた直後乗った新幹線の窓から京都の雪を見上げた時のそれと合わせて3回です。天から戴いたクリスマスプレゼントの雪景色、量は意識が戻った状態で車窓から見上げて目を輝かしました。綺麗な顔でした。その3つのいい顔をみれたこと 幸せでした その幸せを動画にした七夕rainbowbridgeを二つここに。音楽は秋山裕和さん、本当に有難うございました
いつ倒れるかもしれない 悪性リンパ腫が脳波を乱すという症状をだすようになって、どこで発作を起こして昇天してしまうかわからない、その4年の毎日は祈りの日々で、あちこちで倒れ始めた2010秋に、たまたまこのレインボーブリッジの埠頭豪華客船で催される恩師の祝賀会に招待されたのは、量を連れて行ってあげなさいという天の思し召しだったと思います。
一回行きたかった踊る捜査線の舞台のレインボーブリッジとフジテレビ。精密検査代にと貯め始めていたお金を使って連れてゆきました。祝賀会が始まる夕方まで時間があったので東京タワーにのぼり、ゆりかもめに乗ってお台場いきました。その間薬が切れたりして倒れることも覚悟していたので、量の体の調子ばかりに気を取られて祈り続けの旅だったから、量が見て回った東京を自分はちゃんとみてませんでした。それで今回はそれが確認できてうれしかったです。
新橋からお台場へ向かって
乗ったゆりかもめ(右写真の鳥の名前海上鉄道)から
レインボウブリッジを見上げて
ふあ~と目を輝かしたことを思い出します
その時の光景(橋の見えた感動)は
「もうひとつのレインボーブリッジ七夕の祈り」
もしくは「七夕rainbowbridge祈り」という
動画にアップしています。あの立体交差の
景観の素晴らしさは今も観れます
あれは東京で美しい景色の一つかもしれません
東京タワーの上で、大好きなセリフの一節を
暗唱していました。
それが見つかったのでここに。
野田秀樹さんの芝居「半神」のラストで使われていた
セリフです。
唯一自分にもyoutubeの動画を見せてくれた懐かしい
セリフでもあります
いつ昇天してもおかしくない事情で、一回は行きたがっていた東京へ連れて行けてよかったです 2010年10月でした。祝賀会招待状がついてバタバタとあわてて連れて行ったもので中学時代から「笑っていいとも」の収録風景をみたいと言っていた夢はかなえてあげれませんでした。
あれは予約が必要で、フジテレビでは予約なしのぐるり訪問にしかならなかったこと残念でしたが、それでも運良くフジTVの建物の入り口でスマップの3人の顔をみれたのは量も楽しかったんじゃないかと思います。キムタクくんは見えなかったけど、草薙くんと他の二人ははっきり見えましたが、あっという間にファンや観光客の黒山になって量くんは少し離れてニコニコして観ていました。
そんな東京お台場行きが量くんの最後の芝居を書き上げるパワーになれたとしたら、よかったなぁと思います。 ではその動画(ほんというと「5年目のレインボーブリッジに君と行く」と付けたかったです)量くん、観てるかな 電波の上だと観れると信じてアップしました
この公園は、二次募集敗者復活戦で拾われて、初めて静岡入りし、入学式前日に泊まった小さな旅館のすぐそばの公園。ここで、大学一年の夢をふくらまして
鉄棒に体もたれさせて、桜の花を見上げていた量がいた。
今日、駅からの帰り、立ち寄ると、その古い旅館は今もどうにか健在で、錆びた看板に覚えがあった。公園は紅葉の落ち葉がいっぱいで、夕日が綺麗だった。
2007年入学時歩いた道
二つ池は澄んだ4月の空を映して綺麗だった
何もかも新しく
何もかも輝いていたことだろう
君の瞳のレンズの中で…
二つ池
さくらの花のその下の通学路
釣りをする人を横目で見ながら
自転車で走る君がいた
釣りをしていたその人は
今もその場所で春を過ごしているだろか
その人の目に映る春はその時の春と同じなのだろうか
ただ言えるのは
走り去る君の後姿を知っているさくらも
きっと今の君と同じ場所で咲いているだろうということ
正門横で写真、初授業に出発 下宿みつけた 静岡初めての宿 入学申込み 自炊の始まり
いってらっしゃいと言ったよな
いってくると答えたよな
その朝
初めての授業に送り出したその日
小さくなってゆく背中が見えなくなるまで
見送っていたよな そんな4月
さりげない
なんともない日常は
いつも消えてゆくものだと
知っていたはずなのに…
ただお帰りの日常が来ないのが
悲しい
その日が来ることを
気づかなかったことが
悲しい
人間はみんな気づかないのかもしれない
その日のありがたさ
その時間の大切さを
龍年に生まれ、龍年に旅立つ君
天高く 龍雲あれば 思わず手を振る
苦しみなく 幸せに 楽しく 生きて (祈る)
その空の下を歩く数週間前 まだ学生服で卒業式後の教室で 担任の先生、1,2年時お世話になり大好きだったA先生と最終学年お世話になったMother先生を囲んで下向きに恥ずかしそうに笑っていた
いつも 君の後ろを
走っているよ
みんな元気でな
みんな幸せになってな