2014初夏 このしたやみ「紙風船」 アトリエみるめ「班女」連続公演

コンパクトな一時間弱の二つの芝居だったが、粒ぞろいの極みの舞台を観劇させて頂いた。二日目満席で、量の写真を持って隅っこで観た。実は連れが来ることを少し期待して2席チケットを購入したのだが、連れは多忙のため静岡入りできぬ連絡が直前に入り、そのまま二人分のチケットで写真の量と二人で観劇しトークまで聞かせてもらった。がそれだけの価値のある芝居だった。天気も晴れて観劇日和となった。

 

静岡と京都でそれぞれの独自路線で、これからの演劇人が育ってゆく木の下闇的な柱の根になっていただいたらなぁと思うほど、この二つの舞台は完成されていた。みるめ館長さんのトークも素晴らしかった。小道具の材料のひとつの『もみくちゃの新聞紙』が、「班女」の過去公演とつながるひとつの、(こういうのメタファーというんだろうか…)そういう繋がりの象徴になれば、という言葉は意味深でよかった。

 

この「班女」のことは量がまだ元気な1年か2年ころ、本棚にのっかっていたパンフレットに記憶があった。その時の印象は妖艶な舞踏家の一人芝居かという感じであったけれど、今回はそうではなく画家が設定だった。ネットでこのみるめさんの「班女」が公演ごとに設定を変えているというような話が載っていて、観るたびに楽しまされるような事情だった。その楽しませかたを、今回充分に満喫させてもらった。蔭山久枝さんという女優さんは、前々回「処置」でも「此処は・・」でも、その演技力のスゴさと存在感は非常に魅力的で、かつて観たパンフレットの「班女」を一度は観させてもらいたいと常々思っていた。で、今回は時間も天候もそのために用意されていたように、観劇することが出来た。

 

蛇足だが・・・

毎日寝る前の日課で、量の好きな曲(ポルノグラフティとかミスチルとか鬼束ちひろさん、Everythingとかなんとか)を流しながら、あいつが過ごした時間を、残った飲食のレシートとか貸出券とかから拾ってゆくという作業をしてあいつの日常を追ってゆきながら共に生きている錯覚にひたることを生きるよすがとして飽きもぜずやっている自分だが、今日は、芝居を観て戻ってそれをやっていたら、偶然にも2008年3月「班女」の公演チラシ、アンケート用紙がぱらりと落ちてきた。まるで、「オレはこの日観に行ったんだよ」という伝言のように。こういうことはよくある。今回は特に嬉しかった。

 

あいつが最期まで闘病から来る苦痛を笑いに換えて台本書きを書き続けたあの前向きさが、現在高校や大学や社会人になっても芝居を志している若い人たちが悩みながらも頑張り続けているのを見つけると、その力と健康のための一葉になればなぁと、ツイッターではフォローし続けている。舞台は一生もんで、演劇を離れてもみな舞台で生きてゆく。その力の、それこそ彼らなりの木の下闇の場所を見つけて頑張って行って欲しいものだ。さりげなく、フォローをし、さりげなく拡散できれば、おそらく同じ道生きた息子への供養にもなるかもしれない。今も天上で、電波の上で、仲間が頑張っているのを感じたら、あいつも天井棧敷楽しんでいけるかもしれない・・・そんなことを思いながら。

 

 

 

 

 

 

このしたやみ…ん?何?と聞き返したくなるこの劇団名は「木の下闇」という古くから(江戸時代?)ある俳諧関係の言葉らしく上記のように名のある人の俳句の季語として出てくるという。

 

鬱蒼と生い茂る木立の下の暗がりは、昼でも暗くて涼しい。夏の強い日差しのもとでは黒い闇のようである…と説明されている。

芝居小屋そのものの空間を言っているようにも見えるし、いろんな意味にもとれる。演劇を目指す若葉さかんな樹木の根(ささえ)の重さ暗さの力にも思えるし、顕れている豊かさの下に、根幹となる思想や人生や現実を言ってるようにもとれる。ギラギラとした真夏の陽をうけた深緑の世界ひんやりとしたオアシスみたいな舞台をその木陰で楽しむ、そんな時間も見えてくる言葉だった。

 

 

そんな「木の下闇」という言葉から詩をひとつ

 

君の中の

木の下闇

どこで見つけるだろう

いやもう その鬱蒼とした茂みの下で

君はいきているかもしれない

まだ見つからなくとも

その闇を

例えば死にたくなったり

挫折しそうになったり

求めれば求めるほど深くなる

その闇の根をたどりながら

苦しみの宝石

悲しみの宝石を

君は自分で磨くことができ

君は自分がその木になることも

その木陰になることも

いつか可能となる

その日のために

木の下闇

君が今見えている

生きている今を

懸命にいきてほしい

続けてさえいたら

きっと見つかる

感じるだろう

そんな場所を


2014.春の公演 アトリエみるめ 「此処か彼方処か・・・」

カンデンスキーの絵(参照)
カンデンスキーの絵(参照)

感想を書こうと試みたけれど中々まとまりのない文章になりそうなので、詩にして書いてみた

 

     感想追走

 

今日は「カンデンスキー」の絵を観てきた

舞台の上のキャンバスに

さまざまな多色刷りのベクトルが突っこまれた坩堝

その坩堝は「思想」とか「主張」とか「論理」とかを

嘗て投げ入れた1960年代の青春の息吹が

半世紀の時間をかけて化石化し、ぼくらの前に現れた

時にはランボーの、時にはアポリネールの…

あるいは「弁証法」「マルクス」という名詞が飛び交い

つなぎはBGMのビートルズだった

 

その一枚の絵を

博物館の展示室の壁に飾られた一作品と受け止めるには

舞台は博物館になりきってなかったから

どう受け止めていいか難解だった

 

少なくとも粒揃いのactorの

演技力の素晴らしさで

おそらくactor自体も楽しめた舞台だったろうし

嘗ての青春を懐かしむノスタルジー賛美者には熱い思いを落としていっただろうし

またその年代の事を知る機会もない若者にとっては

ちょっと風変わりなナンセンスに心打たれたかもしれない

 

見事な演技にうならせる、さすがのHKさんの存在感と

脇を固めた名優たちのおかげで

ばらつきかねないこのテーマは時間のジャングルジムとなり

観る側も不満はなかったに違いないし

後半トラックに乗って退場する

蒲田行進曲的な展開は面白く会場を沸かせた

 

ただひとつ惜しいと思ったのは

原作者にしろ演出者にしろ

この時代を揶揄的に捉え、一枚の古典的絵画にしようという意図があったとしたら

劇中でそれを感じさせる構成にすべきではなかったかと・・・

劇全体を博物館に入場したことを感じさせる趣向にしたなら

最高の作品になったかもしれない

『処置』の素晴らしさを産んだみるめさん独自のやり方で

この芝居を作ったらまた違っていたかもしれない

 

その意図と工夫を

幕が降りた後、身内的なトークの空間で

解説したらしいことは残念である

トークの前に、打ち上げトークと勘違いして

遠慮して帰途した我が身は仁和寺の僧

それは演出者の思惑?…

不熱心な観劇者はふるいで落とされたのかなぁ・・・

 

舞台には解説とか言い訳は不要だし

そういうものを幕後に付け足さなければテーマが見難い舞台というものは

どうだろうか・・・

 

などとレベルの低い観劇者の浅はかな視点深謝

 

とは言いつつもある意味、節分らしく寒梅の香を頂たき

我が身の愚かさへの箴言と励ましとなる有り難い芝居だった。     2014.2.19

 

静大演劇部公演 「佐藤くん・・・」

高校を終えて大学に入って

演劇というものを知り始めた時の新鮮な躍動とは

こういうところから始まるのかもしれない

 

初々しく

ところどころに苦心の跡が見え

微笑ましい梅のつぼみだ

 

ゴドー待ち的に佐藤くん出さないで終わるとどうだったんだろ

しかし主人公不在の手法は難しいだろうな~

近年、話題をさらった桐島くんは

若い原作者の平面を立体にする見事な魔法をかけた老監督の手腕による。

名作になるには産みの親とは別次元で構成出来る演出脚色家が必然だった証し

何もかもこなせる天才はなかなか生まれないだろう

 

それを覚悟の上か、予測した上か

若いつぼみたちは、観客の期待に応えてか、それとも裏切ってか

佐藤くんを登場させたところが

とても身の程を知った謙虚さを感じさせ

好感を持った

これからの人になるには充分な誠実さと謙虚さが不可欠だからだ

また、さりげない努力の中に

座席後方から声を発して、会場自体、聴衆までも劇中の観客に仕立ててみせた面白さは

印象に残っている

 

かつてRyoもこういう出発点で

試行錯誤して歩き出したのだろう

 

そしてふと思う

こんな老犬こそ息子の背負った大病を自分が背負い

若い彼の身代わりになれて

彼が地上でもう少し生きていたらどんなに皆さんと一緒に

夢の蕾を開花させることもあっただろうと・・・

 

身の程を知らず散々地雷を踏んできて、勝手な、えらそうな感想をうそぶいては

何もなせなかった青春を充分通ってきた我が身、

老い先短くあるのに、未だにその謙虚さを持ち得ずこんな感想をまた書いた

…人間、中々変わりも成長もできず消えてゆく証拠かな

その反省を込めて

 今回の新人スタッフの方が

これからいろんな芝居を観て

いろんな趣向にトライして頑張って頂きたいものです

可能性は自分たちの練磨力でいくらでも広がってゆくでしょう

 

天上桟敷に取り組んでいるRyoも

きっと同じように頑張ってくれているでしょう

そう祈りつつ・・・                        2014.2.18

 

 

 


🌸思い出の静岡駿府の桜 3.19 

ようこそのページに載せました

https://tensun914.jimdo.com/

プロフィール代わり

量昇天後 名前量の文字だけが残りました 2012.5.1 

(展示会の秋11月の写真から)

翔はかせが写真ツイートでアドバイス、先祖墓探索のおかげで、昇天後3年目に行き場のなかった量くんは

観心寺さんの供養塔に入れて

いただきました。

 

その感謝の気持ちで作りだした翔月語り。翔はかせさんのお顔も本名も存じ上げませんが、7年来フォロワーさんでいてくださりました。

その名写真家の翔さんと、それからこの秋出会ったフォロワーさんたちのツイートに最後まで生きる力戴いたお礼の形として、この平成最後の思い出と祈りのtweet集制作することになりましたこと、ここにお知らせいたします。 2018.11.1 

よぼよぼ工房の展示会の搬出の写真です。どうにかお父さん(右から二番目)と手伝い人(左から二番目)

今年の展示会こぎつけて終了できました。でも二人とも腰痛と椎間板イカレで、まだ手伝い人だけ展示場台のセッティング体が動きました。火事場のバカ力保持者は自分だけですよ(苦笑)お手伝い会員さんのメンバーも写真ではまだ元気に見えますが、みんな体ガタガタヨボヨボです。来年は出来るかなぁと思いながら最終活。量くんも天の高い所から苦笑しながら観ていてくれたかな。

このページを見られてる皆さんはまだ若いはず。どうぞ日々時間という宝石を大切にしながら頑張って下さい。12.23記

 

ウイルス跋扈で

即売会もお流れになり 9月へ持ち越し。作陶生活も体の老化で難しいお父さん 今こそ好きな絵を描いて下さい。と励ましてどうにか最後まで

食いつなげたら本望でしょう。

とにかくネット嫌いのアナログ職人さんですので、春福音~日本列島ファイトの動画も観てくださったことなしで毛嫌いされてるもので、こっちはこっち、あっちはあっちで頑張ってます。それでも裸の正直でいい楽書描いてくれてます。

いつかその動画こっそり作ろうかなぁと思ってる相方ですが、そんなことを知ったら、全部焼却処分するような短気なお父さんなので ま、いいか。とにかく、日々楽しく笑顔でいてくれたらどっちが先に行くにしても 天上の量くんの足をひっぱることもないでしょう。

そんな日々。みなさんも

楽しむことが結局強い 青島さんだったか、談志さんだったか言っておられたように、どんな境涯にあっても笑って楽しむ奴が勝つ。もちろん自分にですが。ではお元気で。

     5月24日記

 

追伸

静大の植物をtwittしてくださってる方がおられます。

とても楽しみです。どうぞ

続けて下さい。量が歩いた学内構内を歩けてる気持ちになって 嬉しいです。有難うございます🌸

https://www.muryogama.com/

天寸小山量 天上14歳 令和3.3.24楽

小山量 天上 正定聚仲間入り

6.4.8 学びへ 

   天地融合平和祈念317---

   ⚾天使他力さん守り

   正定聚2年目の

  普賢 量くんお手伝いよろしく

  文殊の岡くん

    地上で元気よろしく