23編?構成のこのシチュエーションコメディ芝居。
演劇を志す者にとっては非常に興味深い試みを、人気作家が形にしてくれたことで、Ryoも一度は観てみたかったのだろう。珍しく探し求めて購入した。
DVDは今、仲間の中で回されて観られていることだろうが、こちらも一応Ryoの接した芝居なので、懐かしく思いNETで無料試聴した。
Ryoがこの動画を観てどう感じたのかは、聞く機会を逸したのでわからない。
でも、幾つかの舞台を間仕切りし、観客から見えるようにしたシチュエーション
コメディ。その画期的な挑戦は確かにすごいことだと思ったことは確かだろう。
賛否両論、いろいろあるだろうけど、箇条書きにして感想を書いてみた。
■よかったこと
①シチュエーショ舞台設定
②観客100人内外収容の芝居小屋にしたこと
③昭和時代のお笑い3人組次元の笑いの原型を彷彿させたこと
④それが企画者の「原点に帰れ」という意図であればそれは大成功
⑤打ち合わせの翌日にリハーサル→本番というハードスケジュールの中、火事場の馬鹿力的俳優の役者根性を魅せつけるように企画されていること
⑥舞台上、偶然性や必然性が醸しだされる展開に神がかり的な奇跡を信じて役者に託したという思惑が見える、企画者の「演劇+映像」の夢が感じられた
■疑問なこと
せっかくこれだけのシチュエーションに膨大な出資をしたにしては
① 矢継ぎ早の、発車オーライの、やっつけ仕事的な台本、脚色
…これが上記「よかったこと」に結びつける要素だったとしても、
非常にもったいない感じがしたこと。
② ①の疑問点の印象が、ただ人気作家や売れっ子役者の「宴会」的なお遊び がベースにあるとしたら、これは、純粋に、食えない演劇に生涯をかける舞 台人への礼を欠いている感があること
③平面画像であるTV推理もの、喜劇ドラマの天才とも言える作家でも、舞台と いう立体現場での創作となると、やはり発揮できる才能の場所が違っている のか、いつもの観る者を唸らせるような閃きが全く感じられなかったこと
■思ったこと
①この段階では古典舞台でなされた回り舞台の迫力には勝てないようだ。
それ以上の素晴らしい成果をあげるシチュエーション芝居を生み出すとした ら、舞台設定につぎ込んだ時間と情熱を、台本にも綿密にかけるべきか。
②役者はただの道具ではなく、生身の感性を発揮できる多種の歯車を持つ人 間なのだから、彼らの引き出す可能性にも時間と情熱を許して、彼らに奇跡 をもたらす流れを作る
(卑近な例と思われるかもしれないが、Ryoくんの遺作「毒あり宴」では ささやかな喜劇の中、Ryoくんの演出役としてその努力が感じられたよ。
レベルは違うけど君の方向は間違ってなかったと誇りに思う)
③間仕切りした舞台を、人間の深層の多面性にかぶせるような心理劇などに 使ったら面白いんじゃないか…(Oくん、Nやん、MさんやGKコンビなど、 Ryoの仲間にもこういうこと出来そうなスタッフが揃ってたな…)
ともかくも、この素晴らしい設定を活かせる本当の芝居人が生まれたら、 このシチュエーションコメディ企画の存在がその発祥の場になる気がする
全体的な感想
ドタバタの中にも面白い人間の心の描写は端々に感じられ、笑いの原型を観る思いがして面白かった ただこの芝居の台本は三谷幸喜という超天才ドラマ作家が手がけなくとも、まだこれからの若人に託しても出来た話ではなかったか
…せっかくこれほど天才が手がけ、膨大な出資をするのであれば、創作、制作の醍醐味を感じさせる最高のものにして欲しかったが…ゲームの名実況者にオリンピック競技で実際に走れというのも無理な話かもしれない。それほどに生身の舞台造りは難しいということなのだろう。
点と線 目の壁 ゼロの焦点 歪んだ複写 霧の旗 砂の器 黒い福音
黒い画集 時間の習俗 球形の荒野 草の陰刻 Dの複合 聞かなかった場所
十万分の一の偶然、渡された場面(最期の読みかけ)…など、RYOは親しんで読んでいたようだが、
「市長死す」という本を読む機会はなかったように思う。この本が出版されていたのかは今もって
不明。ただ最近、ドラマとしての無料動画で運良く見れたのだけれど、このドラマ、量もきっと好きになった
のではないかと思う。
年取った自分にとっては、(読んだ限りの)松本清張の作品の中で一番の名作だと
思った。そして何よりもその市長役だったのが、後で判ったのは、このイッセー尾形さんだった。
実に見事な市長役をこなされ、その演技は作られた感じがなく、感動モノだった。人生の悲しさや哀愁を語り尽くしたこの作品は純文学としても観る人を感動させるものかもしれない。清張さん独特のドロドロした人生観から離れて、この作品は本当に澄んでいるように思う。もし機会があれば観たことのない方でミステリー好きな人にはぜひおすすめの作品だ。
松本清張という人自体出生もはっきりしないミステリアスな人生を送り、作家デビューが40代でかなり遅い
のだが、それ以降の創作は年間に20作前後以上?を書き続けた脅威的なものだった。今で言うと、三谷幸喜さんや東野圭吾さんの筆力を上回っているのではないだろうか?この現代の人気作家、お二人の作品はただもう楽しませる面白さが今風で素晴らしい。が、清張さんから受けるズンとくる重さ暗さが無いのは時代性のせいだろうか。
創作力の源が、掻い潜ってきた歴史的時間、体験した地獄や人間模様にある清張ものはそれだけに凄みがあり闇色をしている。でもこの「市長死す」…の枯淡のような物語が、そういう情念のような作品群から離れて、愛すべき人間の哀愁を感じさせるのがなんとも言えずいいのである。
これは自分の勝手な想像だが、市長役を別の俳優さんが演じていたらこれほどまでに印象は残らなかったかもしれない。舞台の芝居人としてのイッセーさんの凄さを、見せてもらった気がする。Ryoは観ることはできなかっただろうが、このさりげない神的な道化の見事さをRyoは彼なりにこの人に観ていたのかもしれない。
最期の年末ごろだったか、単行本「のぼうに城」を楽しく読んだらしく、めずらしくその武将成田長親の話をしてくれていました。話に聞いた部分だけでは想像できませんでしたが、面白しろかったんだなぁと…内容よりも、本人が楽しそうに話していた時間を思い出します。
それから1年ほど経って映画化されたらしく(2012冬)、先日たまたま無料動画で観れるのがわかり、あぁ、これだこれだと、さっそく鑑賞しました。映像も役者もよく、とてもいい映画でした。堰を切って水攻めにするCGはいかにもCGっぽくて加工が少しまずいような気もしましたが、それ以外は戦国ものの映像としては暖かく名画だったと思います。歴史映画の中で3つ選ぶとしたら、この「のぼうの城」をまず挙げます。でくのぼうなのか、天才なのか、そのからくりを明かさないままのさりげない出来上がりが最高によかった。Ryo,観たかっただろうなと感無量。「火天の城」に続いて、思い出深い小説となりました。
「天地人」という大河ドラマを見かけたら借りてきてと頼まれて、勤め先の会社近くにあったツタヤへ通った日があった。「火天の城」という面白い歴史物を観た後だったか、Ryoの戦国熱は、上杉謙信の毘沙門天、景勝とい直江兼続へと続く。最近、改めてこの50話に分れたドラマを、drama-naviで運よく観ることができた。観て初めて、本人がその頃、この物語に惹かれたわけがわかった。演出や脚色によって、歴史上の人物の人となりが変わるだろうが、史実に添うように作り出された部分はほぼ間違いないものだろう。「天地人」でどれほど心支えられたかと実感した。おまけとして、景勝にほれ込んで関が原の戦いでしんがりを努めた花の慶次(前田慶次)にも好感をもっていたらしい。変わり者の中に憎めない愛嬌・・・しかし徹した義と信の人でもあったようだ。
その後、その繋がりで、伊達政宗とか豊臣関係を拾い読みしていたようだが、やはり「風林火山」の山本勘助の生涯に感動したようだった。山本勘助に関係する資料やドラマを盛んに検索していたようだが、やはり伝説の人とも言われるその人の資料は中々見あたらなかったようだ。
が、「風林火山」もやはりいいドラマだった。「天地人」とこの話は生死の戦国を生きていた本人にとっては何よりも前向きな力となったことだろう。
最終的に、秀吉に一番恐れられたという武将黒田如水、さらに大友宗麟への興味を熱くし始めた頃、昇天してしまった。8月の芝居公演が終わったら、演劇部を離れてその研究に取り組みたいと言っていた。(その遺作公演は無事、演劇部の方々のおかげで9月に舞台となった)その芝居の台本を書き上げて眠りについた本人、夢の中、心は九州に飛んでいたかもしれない。武将を研究するには、その武将が生きた現場(ふるさと)に住むことがまず第一だという、歴史学者の小和田さんの言葉を、死ぬ前日に言って、九州へ行きたい由、熱く喋っていた。「わかった、そうできるように協力するよ」と自分は答えた。嬉しそうだった。「天地人」の時代考証がその小和田教授によるものだったことを考えると、本人も心強かったかもしれない。短い命だったけれど、密にいい世界を旅させてもらった最期だったと思う
最期の春に「お薦めの本なに?」と聞いたとき、5巻の、「播磨灘物語」で、貸出してくれたけれど、時間がなくて読めなかった。ふと思い出して開いてみると黒田カンベイこと黒田如水の話だった。
来年の新春大河ドラマはそのひとの話だ。偶然だろうけれど、少しずつ読んで見たくなった。
大友宗麟もかかわって、舞台は九州にも広がるだろう。
来年、電波の中、観てるだろうな、そう思う年の暮れ。
主役のジョン・デップさんも、失明寸前の視力だと聞いたことがある。この新作は最後のトライとなるかもしれない。靄がかった視界でこれだけの大役をこなすこの人の、どこか孤高の人的な目線には、悟りの境地の静かさを感じる。デップさんは殆ど自分の周りで繰り広げられている名場面もセッティングも、心と体で触感・直感で観られているのかもしれない。月の演技者…だ。Ryoは電波の中で、新作観れるだろうか?この映画のDVD,十数回、繰り返して観ていたよな。映画tweetsをされている方の予告編動画を共有添付させてもらったが、そういえば、予告編のたびに、Ryoが嬉しそうに、今度はこんなんやで~とパソコンで見せてくれた事を思い出した。猛暑の疲れで草臥れていた自分に久々パワー貰えて感謝した。きっとこれはRyoの心の電波だったのかもしれない。映画好きさんに感謝。
繰り返し読んでいたヒカルの碁 アニメーションになっていたので見てみた。とにかく面白くて最後まで観た。前向きな力はこういうところからも貰っていたんだなぁ。とつくづく思った。将棋も好きだったが、どちらかというと碁の世界の方が合っていたのかもしれないとも。
Death Note の最終編で、夜神ライトが泣きながら走る場面(アニメ版)の悲しい顔を見るたびに、Ryoの悲しみを思い出す。
純粋ゆえの絶望、太刀打ちできなかった運命、巡り合わせのcrisisのからくり、の前で、おそらくRyoは彼と同じ涙を心で流していたような気がする。Ryoよ、苦しみなく 幸せな命頂いて 生きるんだよ。ライトくんも。