脳頸のリンパ悪性腫瘍からくる脳発作という症状を抑えるために服用した薬の副作用で脳萎縮が始まる という恐怖感と
量くんも闘いました 記憶が消えてゆくことへの恐れとプレッシャーと闘った闘病期 なんどもなんども自分の
得た知識や意見を友達や親に反芻して 忘れてないなと確認する日々がありました。読書もめったに書き込まないまま
綺麗に読んでいた文庫本・歴史書にも走り書きが多くなったものです。遺作の台本の書き込みの多さもそれを表していたと
思われます。その時の本人の闘いを思い出しました。つらかったね 量くん 今は苦しみなく健やかに 祈
人は いろんな不安と恐怖から抜け出すことはできない
そのせいで 人は様々な想像に押し潰されそうになって
歩くことも 立ち上がることも出来なくなる
その時 彼が選んだのは その不安と恐怖の元になっている苦しみを
笑いに変えることだった
笑いの創造力 それが不安への想像力を駆逐する
創造することは 現実を忘れることではない
現実を糧にして 取り込むことである
彼が昇天間際まで創造の中で生きたこと
遺作「地球進化論」の中で
薬害からくる肝機能低下のせいで
のたうち回るほどの痒みと闘いながら 歩くこともままならぬ自分を
芝居の中で 人体の世界地図のカルカッタへ旅をさせる
痒みが軽くなった カルカッタは 彼の想像力を打ち砕く創造力となって
彼を支えた
つい先日 演劇部に在籍する中学生が手を繋いでプラットフォームから飛びこみ
たった十数年の命を閉じた 生まれてほんの 薄皮ほどの現実を知っただけで
すべてを観たと思い込んで 彼女らは絶望し天に夢をみたのだと思われる
もちろん 人生は苦渋に満ちている地獄
それでも振りかかる不幸の裏返しに幸せへの扉がちゃんと張り付いていることを
彼女らにさりげなく伝える 通りすがりのたった一人でもいい 出会いがあったら
よかった …きっと 無かったのだ
致命的な病との闘いのなか 彼が最後までその扉へ向かって歩けたのは
その出会いがあったことに他ならない
世の中…人生は悲しみと苦しみに満ち溢れた地獄の山河だけど
それを歩いてゆく者同士 苦しむ誰かは常にそばにいて
例外なく 自分の身近にいる友だちも師も親も知己も その一人だろう
自分が 「そのさりげない 扉があることを伝える 誰かのための一人」になること
を信じて生きて欲しいと思う 自分を信じること それを自分の中の矜持として
「アルジャーノンに花束を」という物語は その矜持を教えてくれるお話だと思われ
る 上の動画はドラマとして放映されていたものがあったもの。そちらはテレビ映画
だけに、前半若手の主人公の名演が群を抜いて楽しめ、中盤は少々無理があり、最後
でどうにかうまくメルヘンに逃げて娯楽的に見事に仕上げておられた。芝居と違っ
て、映画ドラマは視聴率を意識しての物つくりなので 日々の疲れを癒やすために観
たい視聴者のために 好意的に明るい結末にされていた。
原作を知らないけれど その作者の意図するところに、おそらく深いところで根ざし
無限に近づけたのは下に載せた舞台の動画だと思う。TVドラマとかが霧散させやすい
原作の意図はこちらで見事に演出されていたのではないかと感じられた。
西国さんという演劇人のことを存じないので先入観なしで拝見させて頂いた。
舞台という四次元の世界を、ネットの上の二次元以下の画面で鑑賞すること自体、観
劇の鉄則を破っているのだから、感想を言う資格もないと言えばそれまでだが、それ
でも四次元で素晴らしいものは その側面 局面でも その素晴らしさの片鱗は見る
ことが出来、実際に足を運んで観ることの出来る若い人へ小窓くらいの伝達は出来る
かもしれない。もう自分は足腰覚束なくて現実物理的にも観に行くことが出来ないヨ
ボヨボなのが残念だけれど 天上の息子への音信代りもあってここに書いた。
西国さんという方の演出によるこのお芝居の動画から 本来の演劇の醍醐味というも
のを教えて頂いた気がする。野田秀樹さんの初期の作品「半神」「オイル」「パンド
ラの鐘」を初めて息子から聞いて観た時の感動に近いものがあった。
今はメディアとかいろんなことに煽られて、お金さえかければ、奇想天外な舞台作り
路線に走らざるを得ない風潮も強いけれど、その中で、西国演劇アルジャーノンのこ
ういう舞台設定 小道具つかいの、形は最小限におさえて工夫 中身を充実させ 本
質で勝負する芝居は素晴らしいと思う
実際動画で観ただけでは 肝腎のセリフが聞き取れないところもあり、役者の方も
中には当時まだこれからの初々しい方もおられたかもしれない感じもあったけれど、
枠組みの素晴らしさはそのまま 今後も再演されて 演劇を志す方は勿論 沢山の方
に出会って欲しい芝居だと思われた
最初はブラームス 中盤はラヴェルのボレロ 最後は賛美歌を聴かせてもらったよ
うなこのお芝居が 継承され 舞台になることを祈っている
やはりテレビドラマはテレビドラマの素晴らしさ 芝居は芝居の素晴らしさ それぞ
れを感じさせてもらった物語だった
社会も 家も 世界はみな舞台
その上で 演じるのは自分
隣に立つ人が主役なら 名脇役となり
一緒に扉をあけよう
幸せの扉は 必ず背中合わせに
自分の中にある
そう信じて生きること
苦の想像力を駆逐して 笑みに変える創造力を
自分の中に信じて 生きること
山頭火の旅路を辿って 豊後竹田へ行ってきました
ここは大友一族の志賀氏が築城した古城跡で、滝廉太郎さんの「荒城の月」で有名な城址でもあります。
前日にこの豊後竹田へ行く由布地域が震度5に見舞われておりましたが
地中の鬼神さまが鎮まられることを願かけて、救援陣中見舞いに思い切って
出かけたのは、この日が5年目の命日であり、その日、静岡の方で、静大演劇部で
お世話になった岡くん、五月くんたちお仲間の公演があると聞いていたもので、
本当は量本人、観劇したいことだろうという思いがあって、それじゃぁ岡城に登っ
(ゴロ合わせなんですが(^^ゞ)祈願参りしようという事になりました。
いい公演だったと風の便りが届いて、また由布の里が少し落ち着いてくれたので
行ってよかったねと命日の空へ報告しました。天上地中の主さまに感謝です
公演おめでとうございました。
ちょうど 下宿が左手にあります角度から撮って下さった…嬉しくて感謝ことばになりませんでした
今ここで もう一度ありがとうございました。
その日の写真が写メールでも送っていただくことになったら、良ければここに載せさせていただきます ご婚約ほんとうにおめでとうございます
芝居も
社会も
家庭も
石舞台の上に
築かれるお城
その石積みの舞台を
日々しっかりと積んで
がんばっておられるみなさんへ
それぞれのお城 祈ってます
ご結婚も・・・
どうぞ お幸せに